ぶろぐ

日常生活で思ったこと、本を読んだ感想、プログラミング等勉強したことの内容を書いてます

アニメを見る視点

 ガンダム攻殻機動隊(どちらも全然見たことはない)など、非現実的な内容のアニメについて、実際にはどう設計すべきなのか、これは現実でどのようにしたら実現できるのか、

 

といった観点から眺めてみると面白いし、着想を得られるのかもしれない

 

と思った。

 

 先日、AC部が大学に来て授業して頂いたのを聞きにいった。AC部は他とはまた違ったアニメだと思うが(笑)、あんなにもアニメーションに真剣になれるのか、と感心した。しかも彼らは、そしておそらくアニメを作っている人はみんな楽しんで創作活動を行っていると思う。

 

これはすごいことだ。

 

とにかくAC部の高速紙芝居(調味マスターリョウ)は迫力もあり、まさにプロの技だった。

 

アニメ文化に疎い自分なので、今後アニメにも手を出していこうと思う。

「心と脳」 認知科学入門

 安西祐一郎さんの著書「心と脳 認知科学入門」を読んだ。

電車の中などで読んでいたが、これは集中して読まないと話についていけず、読んだ意味があまりないと思った。もう一度読んでみようと思う。

 

 今回読んで心に残ったのは、第十章、「未来へ」の内容である。この本は、初めは心理学の発展から、情報科学の誕生、それによる認知科学の発達について具体例を交えながら順に説明をしていく、というもので、最後の方の章では、これから認知科学はどういったものに使われていくのか、人の社会性や創造性は認知科学的にどのようにとらえていけるだろうか、といった話にまで広がっていく。

 

 そして私の心に強く響いたもの。それは十章の7.創造性に関する部分である。

 

 その中で創造性について、心理学者チクセントミハイは、自分の関心ごとに没頭している状態が続くときに創造性が発揮されやすい、ということを見出した。

 

というのである。

 

さらにチクセントミハイは、自分の関心事に没頭しているときには喜びを感じるが、それは次の9つの条件が満たされているからだという。

 

(1)どんなステップにも明確な目標がある。

(2)行ったことに対して即座にフィードバックがかかる。

(3)チャレンジする目標と自分にとって可能なやり方の間のバランスが取れている。

(4)することと思っていることが融合している。

(5)注意が散漫にならない。

(6)失敗の心配をしない。

(7)他人にどう思われるかを気にしない。

(8)時間の感覚が違ってくる。

(9)活動自体に充足感や喜びを覚える。

 

自分に足りていないのはこれだ!

 

そう強く感じた。ホリエモンの本にも同じようなことが書いてあったと思う。

 

もっと何かに没頭できる人間になろう。

教養としての認知科学1

 鈴木宏氏著「教養としての認知科学を読んでいるので、その内容、考えたこと等を書いていこうと思います。題名に1、と書きましたが本の順番通りにやっていくわけではなく、思い立ったのがもう後半を読んでいるときだったので途中から書きます。

 あとは内容を細かく書いていくのではなく、自分が面白い、と思った部分だけ書くと思います。

 

 6章の「ゆらぎつつ進化する思考」について。人間が論理的な思考をできる場合とできない場合があり、それは環境や文脈に依存するというのは自分にも経験があるためよく分かりました。環境や文脈によって、自分が今まで生きてきた中で獲得してきた前提条件から何らかの関連する事象が想起されて、その前提条件の影響で論理的ではない思考をしてしまうのだと思います。つまり、その前提条件によって人々の思考は大きく左右され、そこで個人間の思考の差異が生じるのだと思います。

 また、最近ベイズの定理ついて深く学んだため本の中での具体例で惑わされずに確率を考えられましたが、ベイズの定理を知らない状態では本の中の例は、非常に難しく感じると思います。

 

 また面白かったのは、人間が論理的に思考できないという話の中で、まだ幼く教育を受けていない子が論理的に考えられないのは、論理学が、前提(仮定)を疑うようなことをせずに(例えば「イギリスは寒い」、「綿花は温かいところでしか育たない」という仮定から「イギリスでは綿花は育てられない」という結論が得られる場面での前者二つ)、結論を導くという性質があるためという考えです。

 学校教育では、先生や偉い人が言うことは絶対で、とりあえず命令されたらそれに従うことを覚えさせられます。それはいい面、悪い面があると思いますが、それによって前提が正しいか否かを深く吟味、思考しなくなり、論理学的な、前提は当たり前に正しいとする論理的思考ができるようになったと考えられるのです。

 

 現在の教育が集団的行動、みんなが同じ方向を向いて、同じようなことばかりさせていると感じますが、それにも通じる考えだと思います。ある程度論理的思考をする上で必要になるのかもしれませんが(この程度については発達心理学等を学ぶ必要がある気がする)、言われたこと、与えられた情報を鵜呑みにする習慣をつけてしまうのもこの教育が原因の一つであると思います。

 

 またひらめきについて、閃きというとパッと新しいアイディアが浮かんでくるイメージがありますが、ひらめきは専門的には「洞察」というらしく、それは0から1が生じるのではなく、少しづつ1に近づいていくというのが今までのイメージと少し違い面白く感じました。

 「閃きは持っている何らかの知識と知識が結びついたとき、新しい関係性が見つかったときに生じるのだ」、などとも言いますが、認知科学的にそれに近いことが分かりました。具体的には、無意識のうちに徐々に閃き(正解)に近づいていく。これは見込みのない認知リソースと見込みのある(問題解決しそうな)認知リソースが無意識の間に入れ替わったりしながらフィードバック制御をしていき閃きに近づくということで、これが無意識の間に行われるのがよく分からないと感じました。

そもそも意識と無意識とは何なのか、について詳しく調べるべきなのかなと思いました。

 

 また、両眼視野闘争を応用した連続フラッシュ抑制などの話が出てきて、友達が両眼視野闘争について研究したいと言っていたのを思い出し、そこら辺の話も興味深いと思いました。「何が」闘争しているのか。一次視覚野の話なのか高次視覚野の話なのか、意識的な知覚が生じることと、注意が向くことのメカニズムが違うだとか、面白い話が盛りだくさんです。全部調べる時間はないですが、ちょっとづつ考えていきたいとは思います。

塾講師の苦難

 私は塾でバイトをしている。その塾では大学受験を専門としていて、「授業をしない」をうたい文句としていて生徒の自学自習を基本として学習を進めていく。

 ここでの講師の役割としては、生徒が自学自習をしっかりできているか、間違ったやり方で1週間勉強してきていないかのチェックや、1週間どれだけ勉強を進めるかというペース管理、やってきた宿題が定着しているかのチェック、さらには勉強以外でも相談事に乗ることである。

 

 読んで分かったと思うが、このスタイルは生徒に大きく依存している。生徒が1週間さぼって何もやってこなければ話は進まない。生徒の勉強の進捗は0である。そういった、講師ができることが限られているこの状況で、自分は生徒に対して何ができるのか、最近よく考えるようになった。

 

 まずそもそも、上に挙げた講師の役割である、宿題の定着度合いのチェックがおろそかになっていたり、また正しい勉強法ができているのかもあまり見られていなかったりと感じた。これらは、1時間という短い特訓時間の中で色々と工夫をして、生徒と深く話しながら、そして常に意識しながら改善していこうと思う。

 

 また私は、生徒には勉強だけではなく大学進学以降の過ごし方、夢、やりたいことなどについても話がしたいと思っているが、そのためには生徒との信頼関係がもちろん必要であるし、生徒の勉強管理もしっかりこなしたうえで話さなければいけないことなので、非常に難しい。高校生の「夢」というものは、時代性や社会について深く考えていない状態での、やりたいことだと思っていて、それを単純に応援するよりは時代性を読み、自分がやりたいこと、解決したい問題がその時代性においてきちんと理由付けできるか、などを問いたい。

 しかし現実は、夢ができて方向性が定まり、勉強意欲が出たため良しとするか、と考えてしまう。

 

 1週間ちゃんと勉強をやってくるための「モチベーション」を生徒の中に作っていきたい。それはおそらく私自身がどうにかしてできる問題ではなく、考えるのは生徒自身であるから、私はその補助をして生徒の大まかな方向性を決めていく手助けをしたいと思う。

 

 生徒の勉強のことから高校生の夢の話まで、話が飛びまくったがこれで終わりとする。

メガネ型ウェアラブルデバイス

 最近よく考えるのが、人間の感覚である視覚や触覚の拡張についてである。VRやARと連動してないものを触っているように感じさせることや、人間の感覚の閾値では感じられないもの、ことを感じられるようになると面白いなと思う。

 感じられるものでも、情報として伝達されるとその効果が薄れてしまうこともある。例えば、オーケストラの演奏を生で、コンサートホールで聴くときに感じる緊張感、空気がピンと張りつめたような感覚は、スマホで動画として受け取るとその感覚は得られない。その場の雰囲気というものは現在、体験することはできないのである。

 

 こういったことに興味を持ち始めたのだが、ふと、「暗いところって怖い」と思ったのである。

 

 例えば田舎の電灯の少ない、またはほとんどない夜道を歩くとき。視覚から得られる情報は少なく、段差があることにも、何か障害物があることにも気づけない。また、自動車を運転しているとき。夜は車のライトをつけるが、それでも見えないものは昼に比べて格段に増え、危険も増す。

 この原因は何か。それは「夜」という概念である。なわけない。夜や暗いところが発生するのは仕方がないことなので、何か対策すればいいんじゃないかと思った。

 

 そして調べてみると、「HOYA MW」という、暗所視を支援するメガネ型ウェアラブルバイスが最近(2016,17年くらい)作られ、実証実験されていることが分かった。これは、夜盲症といって暗いところでものが見えにくくなる症状で、まだ治療法が見つかっていない病気を抱える人々に向けて開発された。

 これは、メガネの真ん中にあるカメラで実世界をとらえ、取得した映像を、暗いところにある物体が明るく映るように画像処理して両目の部分にあるディスプレイ(モニター)にその映像を映すことで暗いところでも物体の認識できるようにしたものだと思う。画像処理に関しては、赤外線を飛ばすだけだと白黒画像が返されてしまうのでそこがこのデバイスの強みだと思う。

 

 しかし、このデバイスは普通の眼鏡と見た目も形も重さも全然違い、また価格も非常に高いと問題点も多い。人間とコンピュータの融合を考えると、そういったデバイスを使っていると分からないくらい自然に溶け込んでいる状態が望ましいと思う。またメガネだけでなく、コンタクトやレーシックのように実装して暗いところでも見えるようになる仕組みを考えられると面白いのかな、と思った。

思考停止

 

 自分はすぐ思考停止になり頭を使わなくなる。複数人で会話や会議をしているときでも、自分が発言する必要はないのではないか、と思ってただただ人の話すのを聞いているだけのことがよくある。

 

 これは悪い傾向だと思う。まず自分は他人事のようにふるまってしまっている。確かに本質的な発言をすることができないかもしれないが、積極的に会話に参加する必要があると思う。

 

 また、自分が必要とされていないのではないか、と考えてしまっている可能性が高い。小さい頃からその意識があったのかコミュニティに必要とされていないと感じることが多かった。しかしこれは自分の勝手な思い込みで、仮に事実そうだとしても過去のことをどう意味付けするかは今の自分なので、今後積極的にコミットできるように努めていこうと思う。

 

 自分が必要なのか、それともそうではないのかは、他者が決めることである。私はただ自分が信じた、積極的にコミットしていくことを実践していくだけである。それで自分が自信をつけてさらに一歩進んでいけたらそれが良い結果に結びついてくだろう。

 

 常に頭を動かして考える。まずはこれを基本にして行動していきたい。

人間行動

駅のホームで思ったこと。

 

   駅のホームから改札階に上がる階段には、ほとんどの場合矢印マークがついていて方向が決められている。そしてその2つの領域は手すりによって境界が作られていることが多い。一つ目にその境界によって分断される2つの領域は多くの場合均等になっておらず、階段の幅には大きくて2,3倍の差がある。これに関してはホームに降りる人(つまりこれから乗る人)の方が急いでいる可能性が高く、事故にならないためだと考えた。

 

   次に、私がよく利用する駅では、利用客がわりと多く、電車が止まったときには降りる客でホームが混雑し、さらに階段では身動きが取れないほどになる。そこで人々は、逆方向の領域にほとんど人がいないにも関わらず、9割以上の人が順方向の、人が密集している方の階段を上るのである。

 

   しかし、他の駅で階段に矢印はあるが境界の役割のある手すりがない階段があった。そこでは人々はあまり矢印通りに行動していなかったのである。

 

   ここには様々な要因が考えられるが、一つに人の数である。初めに述べた駅と比べて後者は利用客が少し少なく、人間行動の一つとして模倣というものがあると考えると、周りに人が少なかったことで、模倣せず、本来なら矢印という縛りから解放されたいと思っていた人が普段と違う行動をとったのではないか。そして2つ目に、「手すり」という境界の効果である。ここに、人間の心理からくる行動の面白さがあるのかな、と思った。おそらくこれは、矢印という視覚情報よりも手すりという視覚情報の方が、この場合は人間の行動を制限しやすいのでなはいかと思う。(2つの情報の相乗効果である部分は大きい)人間の行動を制御できる情報などについての学問も面白そうだと思う。またこの場合は、視覚情報の人間の脳での重みの違いについての議論でもあると思うので人間の心理、脳の情報処理等に関しても調べていくと面白いと思う。