ぶろぐ

日常生活で思ったこと、本を読んだ感想、プログラミング等勉強したことの内容を書いてます

大学に行く目的とは。

なぜ大学に行くのだろうか。これは高校生へのメッセージと、自分が大学に入って何もせずただ時間が過ぎていっていたことの反省も含めて書いていこうと思う。

 

今の時代、大学に行かず自分で趣味を見つけて極めて仕事にできる。また大学で学ぶような内容は本を買えばある程度(ある程度)は大学に行かなくても学べる

 

しかし前者は、何かやりたいことがすでに決まっていて、何らかのビジョンが見えている人にしかできないように思う。たしかに好きなことがあってそれをやって仕事にしていくこともできなくはないし、今後はそういった「行動力」が必要になるであろう。

よく言うPDCA(Plan,Do,Check, Act)サイクルよりも、DCPAサイクルの方が結果が出るのが早く、最終的な成果も早く出る気もする。

 

しかしそんななかでも大学に行く理由。それはなんだろうか。それは三つあると思う。

 

 まず第一に、研究ができることである。これは主に理系が当てはまる(文系にも研究できる分野はいくつかあるが)。以前の記事で大学のお金について述べたが、お金がある程度ある大学でなら、必要な環境、設備が整っているため、自分がしたい研究ができると思う。また、最適な手法で研究させてくれる点も非常に重要である。

さらに、二つ目の理由と重なる面もあるが、教員がいて上の大学になればなるほど教員の質も高くなるため、研究のしかた、進め方など参考にできる部分が多分にあるであることである。

上にも書いたように研究というと理系のイメージが強いが、研究とは、「ある対象に対して、調査や観察を通して、これまで人類が知らなかったことを発見すること」と広くとらえられると思っている。落合陽一氏は、「学習は過去の人々が研究して得た知識を追って学ぶこと、研究は初めて知った知識を、人々が学習できるようにすること」みたいなことを言っていた(たしか)。

まさにその通りで、必要なのは研究であり、その研究というのは理系だけがすることではなく、文系、理系問わず誰しもがすべきことなのである。

私自身文系大学生が4年次に何をして卒業するのか詳しく分かっていないため、この記事は良くないのかもしれないが、大学に行く主要な理由は、「勉強すること」ではなく、「研究すること」である。

 

 

 次に、先ほども少し述べたが、大学には優秀な教員がたくさんいる、という点である。もちろん優秀な教員がいたところで、自分が何らかのアクションを取らなければ無意味であることはよくわかるだろう。これは私の反省点でもあるが、大学教員ともっと話す機会を持つべきであったと思う。学生のうちは、教員にアポイントメントを取ろうとすると、どんなに忙しくても時間を割いてくれる。こんなことは学生でなければあり得ない。これは実は大学教員だけでなく、社会人に対しても同じことができるであろう。

このチャンスを逃すのはどれほどもったいないか!

教員になるくらいの人であれば、自分なんかより物事を深く考えていて、ビジョンもあるであろう。そういった人と一対一で話すことで自分がどうしていきたいのかが見えてくるのではないかと思う。

授業でももちろん好奇心をくすぐるようなことを話してくださる先生もいるが、学生に教える気がない先生ももちろんいて、授業のみで多くの教員と出会えるとはあまり言い難い。

これは研究室配属される、という時に教員と話してみて感じたことである。彼らは頭がいい(笑)

 

 最後に、これは申し訳程度に書いておくが、友人と出会えることである。ワイワイ遊べる友達、という意味ではなくお互いにビジョンを語り合い、思考を深められる友人である。同じ学部学科の人であれ、興味を持っている内容は相当違っているのがほとんどであると思う。そういった友人と話すことで自分の研究している内容の着想を得たり、違った視点から物事を見られるようになるのではないかと思う。だから、友人との出会いも大切にすべきである。

 

以上、長々と書いてきたが、大学に行く理由として、

1.研究ができる。

2.優秀な教員と出会える。

3.異なる価値観、興味を持った友人と出会える。

の3点は少なくともあると私は思う。もちろん大学に行くことが全てではない。ただ、大学に行って何のビジョンもなくただ6年間(4年間)を過ごすのはもったいない。